臨床心理士を目指したきっかけ①

カウンセラー紹介ページにも書いてありますが、私が臨床心理士という職業に出会ったのは、中学生の頃です。

いわゆる不登校という状態になり、児童精神科クリニックを受診したことがきっかけです。

 

なぜ、私が不登校になったのか、思い出話をしていきたいと思います。

ちなみに、「カウンセラーの自己開示(自分のことを話すこと)はあまりしない方がいい」という意見もありますが、

私の経験が誰かの役に立つかもしれない、という思いで書いていこうと思います。

興味を持って下さる方がいましたら、おつきあい頂けたら嬉しいです。

 

 

 

時は、30年ほど前にさかのぼります。

 

小学生の頃の私は、言いたいことをはっきりと言ってしまう生意気な女の子でした。

例えば授業中におしゃべりをしている男の子がいたら、「うるさい!」と一喝したり。

 「自分の価値観や考え方は全て正しい」と思い込み、自己主張が強すぎていました。

「それは、間違っている」と思ったことには、誰に対しても論破し、きつい言葉を言われた同級生は、泣いてしまう子もいました。

 

 

小学校6年生のある日、

担任ではない別のクラスの先生に

「この間、〇〇ちゃんが泣いたのは、お前のせいだよ」

と言わました。

 

晴天の霹靂でした。

 

「え?私って友達を傷つけていたんだ。」

 

生まれて初めて自分の生意気な言動に気がついたのです。

 

周りの子は私のことを怖がっていますから、

「さやかちゃんの言動は誰かを傷つけているよ」

と言ってくれる子はいませんでした。

 

そりゃそうですよね。

クラスで威張っている怖い女の子に対して、誰が正論を言えるでしょうか。

 

 

親は何も言わなかったのか、と思うかもしれませんが、なんと、家ではとてもいい子だったのです。

昭和の家父長制の我が家は、怒るととても怖い祖父と父が君臨していました。

父や祖父の前で、泣こうものなら、

「うるさい!」

と怒られる家庭でしたので、家では息を殺して、父や祖父の顔色を伺ってとてもいい子で過ごしていました。

だから親は、娘が学校でそんな言動をしているとは思ってもいなかったと思います。

 

じゃぁ、他の先生は何も言ってくれなかったのでしょうか?

4月生まれということもあって、みんなより少しだけお勉強ができる場面が多く、成績は問題ありませんでしたし、先生の前でもいい子にふるまっていたので、大目に見てもらっていたのかもしれません。

 

 

そんな中で、しっかり見ていてくれた先生が一人だけいたんですね。

はっきりと「お前が悪い」と言ってくれたのです。

びっくりしましたが、自分の人望がないことにうっすら気がつき始めていたときでしたので、「そういことだったんだ」と納得しかありませんでした。

 

 

納得した途端、これまでの自分の横柄な態度がとても恥ずかしいものだと感じ、同級生たちへの罪悪感でいっぱいになり、今度は同級生の顔色を伺うようになりました。

 

 

 

さてさて、この後どうなると思いますか?

 

長くなったので、臨床心理士を目指したきっかけ②に続きたいと思います。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。